HOOP (フープ) 2010年 10月号 [雑誌]

コービー・ブライアント / Kobe Bryant

コービー・ビーン・ブライアント(Kobe Bean Bryant, 1978年8月23日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手
ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。北米プロバスケットリーグNBAのロサンゼルス・レイカーズに所属。
ポジションはシューティングガード。現役屈指の実力と人気を誇る。
2009年チームを優勝に導いたことにより、名実ともにNBAの頂点に立った。

父親も元NBA選手で、現bjリーグ東京アパッチヘッドコーチのジョー・ブライアント、母親は元NBA選手ジョン・コックスの妹パミラ・コックス。
彼の名前「Kobe」は、父親が来日した際に食べ気に入った神戸牛の「神戸ステーキハウス」から取ったものである。2001年12月13日に神戸大使に委嘱した。
【生い立ち】
父親がイタリアのリーグへ移籍したため、6歳の時から約7年はイタリアで過ごしている。その為イタリアの習慣が身についており、更に流暢なイタリア語とスペイン語も話すことが出来る。
この時期はサッカーに熱中しており、ACミランの大ファンであった。コービーは後に、もしイタリアに住み続けていたらプロのサッカー選手を目指していただろう、と語っているほどである。
1991年にアメリカへ戻ると、高校生活はフィラデルフィアのメーン・ラインで過ごす。
この頃からバスケットボール選手として頭角を現し、3年生になると複数のNCAA名門校から勧誘を受けたが、コービーは高校から直接NBA入りすることを決意する。
これには、当時すでに引退を目前に控えていた、憧れのマイケル・ジョーダンと対戦したかった事もひとつの理由であると語っている。

【コービーとジョーダン】
コービーはしばしばマイケル・ジョーダンと比較されることがある。
同期のアレン・アイバーソン、若手のレブロン・ジェームスなど、これまでに多くの選手が同じようにネクスト・ジョーダンと目されてきた。しかし、コービーほど極端に比較されてきた選手は他にはいない。
それは、ポジションとプレイスタイル、体格と身体能力、ともに闘争心旺盛でかなりの負けず嫌いであること、果てはフリースローの仕草など、類似点が非常に多いことが理由として挙げられる。
事実、プレイスタイルなどは幼い頃からブルズの試合を何度も見続け、ジョーダンの動きを真似ようと研究していたと本人が話している(ディフェンスに関しては、ジョーダンよりスコッティ・ピッペンを参考にしていたという)。
ジョーダン自身も、1998年のオールスターゲーム終了後、後継者としてコービーを指名している。2003年のオールスターゲーム後も、次代を託した多くの選手の一人としてコービーの名を挙げている。

【その他】
背番号を8から24に変更した身長は当初の登録は201cmだったが、ジョーダンが現役復帰した頃からジョーダンと同じ198cmに変更した。
2001年4月18日にヴァネッサ・コーネジョ・ウブリエタ・ラインとカリフォルニア州ダナ・ポイントで結婚した。2003年1月19日には長女ナタリアが誕生。
2006年の世界選手権にはアメリカ代表として来日する予定だったが、膝の手術のため辞退した。
2006-07シーズンから背番号を、プロ入り当初からつけていた8から、24へ変更した。もともと24は入団時に希望した番号だったが、 既にフレッド・ロバーツがつけていたため断念、更に第2希望の33もカリーム・アブドゥル=ジャバーの永久欠番だったために8を選んだという経緯がある。 24は高校時代最初につけていた番号、33は高校時代に父がプロでつけていたことで24から変更した番号、8はイタリアに住んでいた頃にお気に入りだったイタリアリーグの選手、 マイク・ダントーニ(現ニューヨーク・ニックスヘッドコーチ)の番号。
2007-08シーズンは、ラシード・ウォーレスを超える15個のテクニカルファウルを吹かれた。ちなみに16個で1試合出場停止となる。
2008オフに、それまでのビルドアップされた体から筋肉量を落とす事で20ポンド(約9キロ)の減量を行った。過剰な筋肉を落とすことで年間100試合以上出場するだけのスタミナを向上させた。
ニューヨーク・ヤンキースのファンである。またFCバルセロナのファンである。
wikipediaより

Nikeと契約しており、シューズは自身のシグネチャーモデル"Zoom Kobe"シリーズを着用している。
 ※08-09シーズン序盤はNike HyperDunkを着用していた。
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